式内 大江神社
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概 要
社 号 式内 大江神社
式内社 因幡国八上郡 大江神社三座
読み:古 オホエノ 現 おおえ
江戸時代は「正一権現」「財原大明神」
所在地 鳥取県八頭郡八頭町橋本734
旧地名 因幡国八上郡
御祭神 大己貴命(オオナムチ) 天穗日命(アメノホヒ) 三穗津姫命(ミホツヒメ)
合祀 素盞嗚尊 品陀和氣命 級長津彦命 保食神 武甕槌命
合祀 菅公 高皇産靈神 大山祇神 罔象賣神 神皇産靈神 猿田彦大神
合祀 少彦名命 稻背脛命 奇稻田姫命 經津主命 伊弉諾命 月夜見命
合祀 大年神 大香山戸臣神 若經津主命 瓊瓊杵命 木花咲夜姫命
合祀 彦火火出見命 豊玉姫命 脚摩乳命 手摩乳命 市杵嶋姫命 湍津姫命
合祀 豊岩窗神 櫛岩窗神 訓黒同姫命 蛤具姫命 国常立尊
例祭日 4月 29日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座 大37座(就中一座月次新嘗。) 小523座
因幡国(イナバ):50座(大1座・小49座)
八上郡(ヤカミ):19座(並小)
式内社
中世社格制度 因幡国二宮
近代社格制度 旧郷社
創建 不詳
本殿様式 流造
境内摂社(祭神)
一口メモ
河原町から東へ国道23号線に行くまでに鳥取県八頭町の旧船岡町にある。
歴史・由緒等
当社は因幡国二宮である創立は不詳であるが文徳実録(879)に当社を式内社とし「神階従五位下」を授くとあり、927年の延喜式神名帳に当社三座が載っている。859年(貞観元年)に因幡国主大江氏雄がまた927年(延長5)に因幡国主大江貞基も社殿を再建している。
順徳天皇の頃(1211~1222年)「正一位大権現」に進み因幡国主大江広元の氏神となり崇敬された。明治の初年頃大蔵省書記官大江卓が来社横額を上げている。明治五年郷社の社格を受け現在の社殿は1918(大正7)の改築である。
平成5年12月
船岡町教育委員会 「社頭掲示板」
創祀年代は不詳。
鎮座地の名は、昔、財原村といい、財原大明神とも呼ばれていた神社。
以前は大江川の東側にあったが、戦乱により西側へ移動。
現社地のすぐ上に遷座したという。
因幡国二宮で、明治以降、多くの神々を合祀しているが、本来の祭神は三座。
延喜式にも、「大江三座」と記されている。
元禄年間、大江神社と改称し、明治元年、境内社三十五社(祭神五十二柱)を合祀。
明治五年、郷社に列した。
また、大正五年、水口神社、下野神社、坂田神社、殿村神社を合祀した。
境内・社叢
社叢 鳥居
狛犬 手水舎・狛犬
拝殿 拝殿扁額
拝殿・本殿
地名・地誌
1889年(明治22年) 町村制施行により、八上郡船岡村、伊井田村、大江村、八東郡隼村が発足。
1918年(大正7年)4月1日 伊井田村、大江村が合併、名称を大伊村と改称。
1952年(昭和27年)11月3日 船岡村が隼村、大伊村を編入、町制施行し船岡町となる。
2005年(平成17年)3月31日 八頭郡郡家町、八東町と新設合併し八頭町となる。
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